《植物物語》伝説の花・神話の花。植物からの愛とロマンのメッセージ

書き写したい花がある。写し伝えたい木がある。
 

 植物からの愛とロマンのメッセージ「植物物語/伝説の花・神話の木」は遠い昔から私たち人間がどれほど多くの恩恵を植物から授かり、また、植物とかかわってきたかを知っていただく物語写真集です。
 私たち先達は、古代から深く植物と付き合ってきました。その長い歴史のかかわりをカタチに残してくれています。日々、植物たちへの尊厳と恐れを込めた気持ちが、ひとつの花の愛を語り、一本の木の涙する情景を伝説や神話として今に深く永く伝えてくれています。それは同時に植物の生存が私たち人間の生存を許してくれている証として考えていたからです。
 ここに紹介している花や木の中には、数十年後、絶滅の危機にさらされているものがあります。いつも見慣れている風景として見落としていく怖さがあります。現在の私たちは、知らず知らずのうちに自然への尊敬と畏敬を無くし、自然からの深い恩恵もいつしか忘れているようです。手を伸ばせば何でもある時代、それが当たり前に感じてしまう今日、なぜか今、子供達の心が荒ぶるのを見るにつけ、人はもっと植物を通じて生あるものの大切さを知り、自然との深いつながりが必要であることを考えなければならないのではと思うのです。
 私たちの先達が残してくれた「伝説の花・神話の木」のメッセージは、実は私たち大人以上に子供たちにも、知らせ伝えたい物語です。

                                                

  

サクラ(桜)

若者たちの、愛の炎の命を宿した神の木、哀しみに震えています。

「春さらば挿頭(かざし)にせむとわが思いし 桜の花は散けるかも「妹が名に懸けたる桜はな咲かば 常にや恋ひむいや年のはに」。万葉集にはこんなに悲しげで切ない桜の花を歌ったものがあります。昔、山里深いところに桜児(さくらこ)という、それはそれは美しい娘がおったそうな。村の二人の若者が、美しい桜児を自分の妻にしょうと、毎日のように長い道のりを通いつめたそうな。決めかねている桜児の前で、とうとう二人は命を賭けて決闘することになったそうな。それを悲しみ、悩んだ桜児は「愛してくれるのは嬉しいけれど、二人に同時に嫁入りすることは出来ません。」といって林の奥へ走っていき、大きなサクラの木の枝に帯をかけて、死んでしまったそうな。男たちは、亡くなった桜児の死を悲しみ、それぞれ血の涙を流して詠んだ歌を残して、自決したそうな。その後、このサクラの木は若者たちの思いを宿して、満開の花を咲かせると、さっーと桜児の基に散っていくようになったと語られています。
花言葉は「精神美」・「優れた美人」です。
*日本神話では、まだ神代といわれていたころ、コノハナサクヤヒメが富士山の頂からサクラの種をまいたのが、日本にサクラが誕生した始まりといわれています。また、サクラのサは農耕の神を、クラは神の座る場所を表すところか、神の座する木といわれ、「神の霊が宿る木」になったと言われています

にしきぎ (錦木)

”火と燃える”男心の想いを込めた錦木は涙ぐましいまでのプロポーズの木。

 働き者で親孝行な若者は、背が高く頑丈な身体の割には、いたって気が弱く恥ずかしがりやでした。村一番の美しい娘に恋心をいだきながら、自分の想いを告げられずに、胸苦しい日々を過ごしていたのです。
 ある日、思いあまって村の長(おさ)に相談しました。「長様、わたしは口下手で気が弱く、娘っこに、この気持ちを伝えることが出来ません。どうしたらよろしいでしょうか?」。長はしばらく考えてから、「それじゃのう。おまえのその想いを込めた錦木の木をその娘っこの門口に立てかけて見てはどうじゃ」。ただし、途中であきらめてはならぬ、と念をおしたのです。
 若者はそれからはくる日もくる日も野良仕事が終わると美しく紅葉した錦木を一本一本、娘の家の門口に立てては帰って行きました。娘の家の前はそれは見事に紅葉した錦木に包まれました。今日も錦木を立てかけている若者の熱意にほだされた娘は、ついにわが家に迎え入れました岩木山からの夕陽に輝く、その日の錦木は100本目だったといいます。(青森・南津軽民謡より)
 また、秋田県・十和田駅の近くに現在でも「錦木塚」が祀られています。昔、この地の豪族・大海家の政子姫に恋焦がれた若武者が、錦木に思いの限りを込めて毎日、その姫の館の門口に立てかけ、それが千束になった折、若武者の想いを受けようとしました。しかし、父の大海の逆鱗にふれて許されず、若武者は絶望のあまりとうとう死んでしまい、これを知った政子姫も嘆き悲しみながら彼の後を追いました。その後、父の大海は自分の身勝手な振る舞いを悔い、若い二人の供養の塚を建てたといいます。この塚が今に残る錦木塚と伝えられています。いずれにしても錦木の美しい紅葉の色は、若者たちの熱い恋心の想いの色です。
 花言葉は「あなたの魅力を心に刻む」です。

ボタン(牡丹)

権力者にも媚びない、誇り高い花は「花の王」

 中国では、この花を花王と呼び「百花の王」、富貴のシンボルとして珍重されています。大きく美しい姿でありながら、その表情はどこか慎ましい、淡い紅色の花は、頬を紅調させて恥じらう乙女のように見えますが、誇り高い花なのです。冬のある日、唐の則天武后が雪見の宴を催し、盃を片手に花の精たたちに命じました。「花の精たちよ、ただちに目覚めてこの庭に花を咲かせよ」。花の精たちは相手が時の権力者の武后なので、意に従うことにしました。しかし、誇り高いボタンだけは招集に応じなかった。怒った武后は、ボタンを長安のこの都から追放してしまった。流された先の洛陽では、大切に扱わられて、ボタンは大輪の豪華な美しい花を咲かせたといいます。洛陽の地は今も、ボタンの名所として名高い。
花言葉は「富貴」・「恥じらい」です。

ヤナギ(柳)

あなたは、ヤナギが泣いているのをご存知ですか。

 そう、泣いているのです。英語ではシダレヤナギを「泣いているヤナギ」(Weeping willow)といい、イギリスの花言葉では「死者へのなげき」、フランスの花言葉では「憂鬱」「悲愁」となっています。旧約聖書にも、敵の虜になったユダヤの女性たちが、バビロンの川のほとりにすわって、故郷のパレスチナの山を思い出して涙を流した岸辺のヤナギに、琴をかけた。その後ヤナギは琴ともに泣いたと記されています。また、フランスの詩人、アルフレッド・ド・ミュッセは「私が死んだら、私の墓にヤナギの木を植えてください。私はその涙ぐましい葉が大好きだ。」と詠んでいます。
 一方、ヤナギには霊力があって、邪気を払う神聖な木とされ、中国では、門に枝を差したり、旅する人の無事を祈って、枝を輪にして贈ったりしていました。
花言葉は「憂い」「悲しみ」です。

*写真のヤナギはシダレヤナギです。憂いを秘めたヤナギの涙は今日も、天から雫を落としています。

ワスレナグサ(忘れな草)

愛する人へ、命をかけて消えていった男の、惜別の花。

 薄青紫色したこの可憐な小さな花は世界各地で幾多の伝説を持って親しまれています。その中のドイツの若い二人の悲恋物語は今も、人々に語り継がれています。
 昨夜の激しい雨も今朝は、嘘のようにやんで晴れています。朝もやのドナウ河の辺を、楽しく散歩している二人は、若く美しいベルタと青年騎士ルドフルの恋人同志です。ベルタは夢見るように語っています。ルドルフはそれを包み込むような優しさで、うなづきながら答えています。明日、出掛ける戦から帰ってきたら二人は結婚しょうと誓いあいました。ベルタは幸せに満ちています。河辺に咲いている小さな花さえも、自分を祝福してくれているよう見えます。「なんと可愛い花でしょう」とベルタが呟くと、ルドルフは「そんなに想うなら、僕がとってあげよう」といって河の淵に近づきながら思い切り手を伸ばして、花を掴んだ瞬間、前夜の激しい雨で足元の緩んでいた土が崩れ、アットいう間に水かさを増していた激しい河の流れにのみ込まれていきました。
ルドルフは渾身の力を振り絞って岸辺にたたどり着こうとしますが、体は沈む一方です。突然の事に呆然と立ちすくむベルタ。最後の力で花をベルタに投げたルドルフは叫びます。「君を愛している。僕を決して忘れないでくれ。」の言葉を残して河の流れの中に消えていきました。愛する人を失ったベルタはその後、この花を大切に育てルドルフのことを、終生偲んだそうです。
 この物語の河はイギリスではテムズ川になり、フランスではセーヌ川になっています。さしずめ日本では何処になるのでしょうか。
花言葉はForget me not「私を忘れないで」です。

*写真の群生がワスレナグサです。ドナウ河のように流れるこの群生風景は見事です。しかしこの風景も、年々小さくなってきています


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